「懲りずにコラム」 2004年10月上旬号
「『セサミストリート』の怪」
NHKで長く放送されていた米国版の英語教育番組「セサミストリート」が、新たに日本版としてテレビ東京から放送されるという。
いわく、「新生『セサミストリート』/『心を育てる番組』へ/コンビニ、関西弁の新キャラ/日本色を全面に」だそうである(東京9・29「芸能・番組」欄)。
これまで、120か国以上で放映されていたというから、これもアメリカの世界戦略の一環かと早合点しそうだが、
ロシアや中国など20か国以上では、"文化や子どもたちの置かれている環境"など、各国の実情に合わせた「ローカライズ版」が作られているともいう。
やっと、日本も社会主義国家にならって、"脱アメリカの傘"に目覚めたというところかと、70%以上をローカライズするという日本版の実情を推察すると……。
担当プロデューサーいわく「子どもが友達を、親が子どもを、平気で殺すようなことが多く発生している昨今、
子どもたちに訴えるものは、心の教育なのではないか」と、日本版のテーマに情操教育を掲げたという。
一見立派なことをいっているようだが、そもそも戦後の日本人をこのように育てたのは、アメリカ文化とテレビではなかったか。
そのテレビが、何をいまさら、情操教育などといえるのか。
ついで、自然との共生について、「子どもたちは自然と触れ合う機会が減ってきている。画面を通じて体感してほしい」
とのたまうが、子どもたちを自然から遠ざけた元凶の一つは、やはりテレビではなかったか。
彼らテレビマンのおごり、その極めつけは"コンビニ"信仰である。ストリートのセットの中心部に、コンビニを設置するのは、
現在の日本人の生活に密接しているという観点から取り入れるのだというから、恐れ入るほどの短絡的な発想である。
彼らには本来、日本人が持っていた"心"などカケラもなく、単に役人や政治家、
一部の治安対策専門の大学教授や警察官僚出身の副知事などが口にする常套句をマネただけ、
すなわち親権を放棄した親たち向けの、耳に心地よいだけのメッセージでしかない。
何度もいうが、戦後ずっと、大人たちは、子どものことなどほとんど真剣に考えてはいないのである。
「国会図書館の"怪"革」(第1部)
ナショナル・ダイエット・ライブラリーと聞けば、ダイエット(節食)に関する図書館かと思われそうだが、さにあらず、
国立国会図書館のことである。18歳以上であれば、国籍を問わず、だれでも利用できるが、"国会"とあるように、
国会議員のためが第一義である。
以前は、訪れるたびに、用紙に入館年月日・氏名・住所・電話番号・年齢に、ロッカーの番号や傘立ての番号を記入し、
受付で番号の入った磁気(入館)カードと交換してもらえば、本館や新館を自由に行き来できた。
2年前の10月に関西館がオープンしたが、以下は従来からある東京館での話。
本や雑誌を借りる際には、専用の用紙に必要事項を記入、貸出カウンターへ提出し、出てくるのを待つという仕組み。
また、借りたモノのコピーをする場合は別のカウンターで、依頼用紙に使用目的を記し、コピーする書籍・雑誌名とそのコード番号を書き、
どのページからどのページまでと指定(細長い紙切れをはさみ)して提出する。
コピーのページ数が規定を超える場合は減数を言い渡されるなどのチェックを外部委託の担当者から受け、
…出来上がりを待ち、枚数による金額を支払って受け取る……。
資料を借りて読むだけならば簡単だが、地下にある資料が膨大なのか、借り手が多いからか、前者に30分ぐらい、
後者では20分以上待つということはしょっちゅうであった。
資料の検索はかなり前に、図書カード式からパソコン利用にかわっており、数十台も並ぶパソコンの前に座って、
黙々とマウスを動かす人々の後ろ姿は、手工業時代の雰囲気をうかがわせたが、今やそれは何か所にもあり、
数百台は並ぶ"工場"の様相を呈している。
9月下旬、職員に、「機械化で人員削減になるのでは」と、いささかイヤミな質問をすると、
「それが、かえって忙しいのです」という。何のための、IT化なのだろう。
「国会図書館の"怪"革」(第2部)
機械化は"ペーパーレス時代を迎える"といわれたのは10年以上前だが、かえって紙(書類)が増えたのは、
機械化に順応できないお偉方や年輩者が多かったからだ。
さて、この10月1日から、全面的に機械化した国会図書館を訪ねてみると、機械に馴れない人には、
入館手続きの段階でつまずきかねず、「来るな!」と拒否されたような印象を与える。
まず、入り口の手前で「当日入館カード」を作成しなければならない。ATM、つまり画面上の指示にしたがって、
カタカナで名前を入力し、ついで郵便番号・住所・電話番号・生年月日などを入力すると、みごと「橋本健午」が出てくる!?
すでに"個人情報"が流出している証拠ではないか。
この電鉄会社などが発行するような「一日フリーパス」を読取機にかざして、やっと入館したが、5分ぐらいかかった。
ひとりずつ整然と機械の前に座る善男善女の横を通り、「登録利用者カード」手続きのカウンターに立ち寄ると、
いまや懐かしい紙の申請書に、再び上記のような個人情報を書き込み、返信用の封筒に住所・氏名を書き、
身分を証明するために運転免許証を提示し、首実検をされ、めでたくパスすると、1週間ほどで関西館から届けられるそうだ。
念のため同図書館のHPから複写すると、「(未登録の利用者の場合、館内利用カード発行には、氏名・住所等の入力が必要です。)」とある。
「カード詐欺」や「おれおれ詐欺」が多いからかなあ。
さて、私も検索をしようと、空いたパソコンの前に座るが、以前はすぐに起動した機械は、マウスを動かしても何もいわない。
どう動かすのかと思案していると、腕に腕章をまいた指導員風の若い女性が現れ、「一日フリーパス」を差し挟むようにという。
パソコンの横に、カードを入れる小さな装置はあるが、たて横、カードをどの方向で入れるのかに迷っていると、
彼女は「私たちでも分かりにくいんです」と意外なことをいうではないか。
国会図書館は、どんな業者にソフトを発注したのだろう。
「年寄りは、機械など操作の入り口でつまずくと、もうだめだとあきらめてしまうのでは」といえば、
「そうですね」と親切に操作手順を教えてくれようとしたが、あとはスムーズに行った。
自分の本を検索してみようとつぶやきながら、「橋本健午」を入力すると、たちどころに、8点の書名が出てきた。
後ろで見ていた彼女は、「すごーい」とのたまう。
詳細検索のデータ欄に「本橋 游」があるので、「ペンネームで書いたのも見よう」などと調子に乗って、
クリックすると4冊あったが、すでに彼女は他の利用者のところへ行ったあとだった。
ちなみに、わが師梶山季之の場合は527件もある。もっとも、これだけの検索ならば、自宅のパソコンでもできる。
私は何のために行ったのか?!
若いころから、ずいぶん通った国会図書館だが、この改革のために、館内の模様替えは激しく、関西館に移したものもあり、
行きなれた部屋にはちがうものが並んでいたり、開架式から閉架式になるなど、使いづらくなったのは、事実である。
いや、単に"お年寄り"になっただけのことか。
<ちなみに、この6月、人文総合情報室に、出版界の大先達、布川角左衛門先生(1901−1996)が集められた2万点余に及ぶ
「布川文庫」の蔵書が納まり、私はひそかに喜んだ一人である。2年前、『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった"青少年"―』
(明石書店)を上梓したのは、戦前からつねに言論の自由を守るために戦って来られた布川先生が、
青少年と"有害図書"問題にも腐心されたことを書き残しておきたかったからである。
なお、この「布川文庫」には拙著『父は祖国を売ったか―もう一つの日韓関係―』(日本経済評論社1982)も収められている>
(以上、2004年10月13日までの執筆)
kenha@wj8.so-net.ne.jp