懲りずにコラム目次

「懲りずにコラム」 2004年4月上旬号

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「"戦後"とは」
 ちかごろ"戦後"という言葉が、安易に使われてはいないか。
 今回と同じく、アメリカの"大義"と"戦略"で負けたベトナム戦争(1975年)の後に聞かれなかったのは、 まだ日本人に"良心"が残っていたからであろう。
 ところが、少し前、若い世代は"戦後"とは、イラクのクエート侵攻に端を発した湾岸戦争(1991年)後のことと思っていたし、 今また"戦争中"のイラク問題に関し、政府もマスコミも"戦後"という言葉をひんぱんに使う。
 そのうえ、長嶋サンが倒れただの、退院し自宅でリハビリ…などという"個人的"なことを、さもご大層に報道し、 国民を一喜一憂させるのは、かの昭和20(1945)年"初めて本土を攻撃され、負け、占領された"歴史を忘れさせるためではなかろうか。
 これ以上、馴れっこになってはたいへんである。もっとも大事な"戦後"という言葉の"現実"を忘れないために、 わが国が関わる"戦争"を二度と招来させないために、また度重なるアメリカの愚行を賛美しないために、 改めて峻別して"敗戦後"といおう! それは、今も続いているからである。

「流れ…」
 今の日本の右傾化を、「流れです、流れ」といった人がいた。
 警察官を大増員し、監視カメラの増設を急ぎ、地裁判事は性急に「出版禁止」を宣告し、 教育委員会は公教育における国歌斉唱・国旗掲揚を強要する。はたまた治安維持、 とりわけ青少年保護を名目に東京都などは"有害"環境をでっち上げ、取り締まりや罰則を強化するなど、 ほとんど"狂気"に近い状況ではないか(「似非エッセイ」2003年11月下旬号「非行少年と少年非行」参照)。
 何のためだろう? たとえば、都の青少年条例強化が唐突なのは、当初のテーマだった「引きこもり」を急きょ 「治安対策」に変えたからだという。それが、「流れ…」なのだろう。 名目は立派でも、やることは都民や国民のことなど一顧だにしない"流れ"となっている。
 なぜか。強い権力者(独裁者)に従う"忠臣"が多いということである。彼らは、ご意向に沿う意見を具申したり、 自分の"くび"が危ないと察知し、スケープゴートを見つけ、それを血祭りに上げ、独裁者(と思っている) もののご機嫌をとるからである。
 ためしに、都立高校の入学式で、各校に派遣された219人の都教育委員会職員に聞いてみてはどうか。 また、ちがう場面で、都の職員は、「今度の副知事は誰だか知っているか」と暗に"権力"をちらつかせたというから、 どこかの"業界"並みだ。
 国会議員に限らず、選挙は民意を表すという"公式"があるが、首長選挙など、政治に興味のない連中による、 単なるかっこいいとか、有名人だからという人気投票でしかない。 近ごろ、ポピュリズム("大衆迎合")という言葉が市民権を得たが、"衆愚"と括られる中に自分も含まれているとはだれも思っていないところが喜劇だ。
 早晩、道徳教育や徴兵制の復活など戦前にも勝る、暗い世が予想されるのは、このような"流れ"に疑問を抱かない日本人が多いからである。

「ああ、ヤスクニ!」
 内閣総理大臣の小泉クンが、公人か私人か、はたまた"みなし公人"か、私個人としてはどうでもいいことだが、 やはり立場というものがあるだろうにね。
 彼の靖国神社参拝問題で、このたび福岡地裁は違憲と判断したが、「戦争を繰り返さないために参拝する」という彼は、 参拝に秘書官らを伴い公用車で行っても、「総理大臣である個人・小泉純一郎として参拝した」とのたもうた。 石原都知事も「私的な動機で公人として行くわけだよ」と言う(9日記者会見)。これを詭弁という。
 そうか、本人が言っているのだからマチガイないはずだ。いや、新聞記者が「コウジン」との発言を「コジン」と聞き違えたのかもしれないな、きっと。
 人道復興支援のために自衛隊をイラクに派遣したらしいが、すでに現地は"戦場"である。 そういう認識のない彼のことだから、「公人か私人か、はたまた"みなし公人"か、私個人としてはどうでもいいこと」 ぐらいにしか思っていないはず。
 でも、現実を見よう。元自民党幹事長、いま日本遺族会会長である古賀誠サンは「誠に残念な判決だ」と語る一方で、 小泉サンが今後も参拝を続けるといったことに「大変ありがたい」といったそうな。
 この夏の参院選挙には、アンチ小泉の新しい日本医師会会長では同会の推す候補者に期待できないため、 日本遺族会の"候補者"がトップ当選するはずである。"戦争"云々なんて、イラク派遣でもヤスクニ参拝でも、 単なる口実に過ぎない!?

「全力を挙げる…」
 イラクの武装勢力に拘束され、"人質"となった民間日本人3人の解放について、小泉首相はじめ政府関係者ら、 それを伝えるメディアも、すべて「人質解放に全力を挙げる」とか「情報収集に全力を挙げる」といい、 釈放すると聞けば「早期保護に全力を挙げる」、それが怪しくなっても「人質の安全に全力」なんて"見出し"が出る公共放送もある。
 こんな"全力疾走""全力投球"では、みなぶっ倒れるハズだが、そうはならない?!  極めつけは、 隣国ヨルダンの現地対策本部も首相官邸も、「情報収集・分析に全力を挙げているが、情報がありません」と報告する記者。 さらに、情報に振り回されて報道管制をしく政府に、それでも「交渉ルート確保に全力」と懲りないNHK。
 3人の家族に限らず、心ある国民は"無力"と感じているでしょうねえ。 スポーツ選手が、「全力を尽くした」というのとは訳がちがう。
 政府関係者のいう"全力"は、情報収集をはじめとする"すべて"がアメリカ依存という意味 (自衛隊派遣の正当化だが、これも今回のネック)で、"無事解放"は二の次だろうからだ。 いずれにしても、ツケはアメリカならびにイラク聖職者協会から、どっさり請求されることだろう。
 ついでに言えば、なんでも「全力」という放送局や、コトバに鈍感な記者連中こそ、本当は罪なのかもしれない。 たとえば、今井紀明クンの特徴的な目について、某紙は「トレードマーク」と表現した。 トレードマークとは、ふつう「いつも野球帽をヨコ被りにする」ことなどをいう。 好意的なつもりだろうが、身体的特徴を述べるのは、時に"差別"にも通じる。

最後に、口直しを!「局アナ、冬ソナ、ごまダレ」
 「局アナ」とは日本の民放テレビでもっぱら繰り広げられている、「結局、アナタは何になりたいわけ?」 というドキュメンタリー番組の略称で、新聞などのテレビ欄に載らないところがミソ。
 一方、「冬ソナ」は韓国の冬の寒さから逃れた彼女を、イケメンの男優がハルうららの日本に捜しに来たものの、 "それは私"と名乗る6千名もの若い女性に、ソナタは? と一人ひとり尋ねる涙ぐましい努力の物語。
 さて、「ごまダレ」だが、コイズミでも、ブッシュでもダレでもいいのだが、真実を隠し、 ごま化し続けるものを指すときの"フレーズ"である、と誤魔化しておこう。
 以上、"日韓・近ごろのテレビ事情"パロディ編でした。

(以上、2004年4月14日までの執筆)


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