似非エッセイ目次

似非エッセイ 2003年5月下旬号

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「わが"ノーブレス・オブリージュ"」
 欧米諸国では、お金持ちや有名人は、それ相応に果たすべき社会的責任と義務があり、 またそれをしなければ尊敬されないという風潮があり、そのような"道徳規範"をノーブレス・オブリージュというのだそうだ。
 翻って、わが国にはそれなりにお金持ちはいるようだが、ノーブレス・オブリージュ的な人の話はあまり聞いたことがない。 寄付しても"名"を冠した施設(たとえば、ムネオ・ハウス)や基金などで、結局は売名行為と見なされる。 もっとも、陰徳は表に現われないのだから、数多くあるのかもしれない…。
 さて、わが家に先月、ユニセフ(国際連合児童基金)から「緊急 戦争の最大の犠牲者は子どもたちです。 今戦乱の中で、必死に生きのびようとしているイラクの子どもたちを救うために、ユニセフ緊急募金にご協力をお願いします」 というDMが舞い込んだ。
 どこで、"個人情報"がもれたのかと考える前に、手書きのメモにこうあった。 「たとえば、3、000円で409人のイラクの子どもの命を救う方法があります」と。
 世の中には、まだ"信じられない"世界があるものだ思い、それを、碌に小遣いも渡さない高校生の息子にも話し、 彼の200円を上乗せして、私は送金した。娘は、ソウルから帰国した日に、成田空港で寄付をしたという。
 以上、ほとんど"ノーブレス・オブリージュ"には程遠い話ではあるけれど。

「日の丸より星条旗では…」
 都教育庁は都内の公立の小中高校(1240校/590/78)で、卒業式・入学式に国旗が掲揚されたかどうかを調べたそうだ。 ご苦労なことだが、保護者から「国旗を見なかった」などの声があいつだからという、ホントかな。
 実施率は100%だが、「正面壇上」「壇上三脚」「会場内掲揚」「会場内三脚」別に見ると、 "正解"の「正面壇上」は小中学ではいずれも90%前後だが、高校では39.0%と44.3%だったという。
 なぜ、"国旗掲揚"を細かく規定したがるのか。
 ある小学校の校長は「子供たちには国際協調の観点からも国旗の大切さを等しく学ばせる必要がある。 目立たない三脚などではなく、式に参加した人全員が認識できるよう正面壇上に掲揚すべき」という (産経03・05・26)。
 「正面壇上」とは、国旗を"壁にピンで留める"ことをさすのであって、"掲揚"とは拡大解釈では。 さらに、校長の談話は前段と後段では別のことを意味し、本音はもちろん後段で、これこそ大人の論理である。
 つまり、子供たちに"国旗の大切さを等しく学ばせる"つもりなどなく、"式"に国旗を掲げれば、 事足れりというところが安直な発想で、悲しいではないか。 いっそのこと、星条旗を揚げ、「ザ・スターズ・アンド・ストライプス」でも演奏すれば、 校長の人気は上がることだろう。"メジャーを応援しよう"のこのごろは…。
 いや、真面目な話に戻ろう。もうお気づきだろうが、この調査には"私立"が入っていない。 "埒外"なのである。同じ日本人でも、"私立"に行けば愛国心は関係ないということだろう、きっと。
 もう一つ、未成年者の喫煙に関する調査もない。つまり、彼らはタバコを吸わないことになっているのです、統計上は。 面白い国ですねえ、ご同輩。
 《「web論文・歴史教育」に掲載の「日本語表現から見た「国旗国歌法」についての私見」もご覧ください》

「"アメリカの植民地"論」
 前回この欄で、"日本は51番目の州"と考えたほうが、現実を理解しやすい旨を遠慮がちに書いたばかりだが、 もっと大胆な意見を述べる若い人が現われました。ご紹介だけしましょう。
 「…東京駅、東京ディズニーランド、東京ドーム、東京タワー。これらはそれぞれ、アムステルダムの中央駅、 カリフォルニアの元祖ディズニーランド、デトロイトのポンティアック・シルバードーム、 そしてパリのエッフェル塔をモデルにして造られている。 新東京都庁舎も、パリのノートルダム大聖堂のシルエットを模している。 (中略)98年にはお台場の埋立地に、自由の女神が設置された。 (中略)この女神像をはさんで、お台場から都心を眺めると、サンフランシスコの金門橋のようにも見えるレインボーブリッジと相まって、 いったいどこの国の風景を見ているのか判然としない、不思議な感覚に襲われる。 (中略)このようなシュールな都市風景が立ち現われるのは、世界広しといえども東京だけなのだ。 これではまるで、アメリカの文化的植民地ではないかと言われれば、まさにその通り。 植民地以外の何ものでもない」といい切り、結論は次のとおりである。 「しかしその面白さを味わおうともせずに、ただ憂えるとすれば、実にもったいないことではないだろうか」 (森川嘉一郎「都市の風景」『早稲田学報』2003年6月・通巻1132号所収)。

「"密輸"…北から出たり入ったり」
 その昔、"出たり入ったり、また出たり"といわれたのは、旧・自由党系の鳩山一郎元首相であったが…。
 さて今、新聞報道などによると、北朝鮮の大量破壊兵器(核兵器・化学兵器・生物兵器)を製造するのに必要な関連機材が、 日本から在日の貿易会社6社を経由して、かの国に輸出されていたそうな。 それも90年代後半以降から、ひんぱんに。
 国内の製造会社は何に使われるか分かっていただろうから、"確信犯"でしょうな。
 一方、かの国の外貨を稼ぐに重要な役割を果たす麻薬の主たる"輸出国"が、これまた日本だという。 国営のケシ栽培農場で量産しているらしく、日本に密輸する際の窓口は暴力団がらみというから、 この国にはかなり"治外法権"の世界があるようだ。
 かの国とわが国は、"持ちつ持たれつ"ではないですか。 なのに、政治家ならびに新聞等は、アンチ北朝鮮のキャンペーンを張っているが、ことこの問題に対して、 どのようなスタンスでいるのでしょうかねえ。不思議な国ですネェ。

寓話「神の手」
 忙しくて猫の手を借りたいとか、熊手で金を集めたいなど、この手の話はいろいろあるが、 当の"ネコ"や"クマ"にとってはいい迷惑であろう。 しかし、恐れ多くも"神"の手を持ち出して、"個人崇拝"を永年続けてきた業界がある。
 コウコ学という、日本各地に伝わるさまざまな漬け物を発掘し、その年代を調べるという好事家の集まりであるが、 やがて、一人の男が巫女(マジシャン)として崇められ、ついに"神様"に祭り上げられた時代が、 20世紀後半に20年近くも続いていた。
 なぜか? 現実には、彼は"神"でも何でもなく、発掘現場に事前にコッソリと他で見つけた古漬を埋め、 関係者が大勢いる前で、さも大発見であるかのように振る舞い続けただけなのだが、 お人好しの仲間は、その自作自演を見抜けなかったのだ。
 いや、この地にこのような年代の漬け物があるはずはない、と勇気をもっていう者もいないわけではなかった。 事実、かなり初期に、この神様はインチキだ、漬け物を捏造していると見抜いた男が異端審問にかけられ、 "抹殺"されたことがあったため、地味で真面目な人たちは、コウコ学("捏造")より"抹殺"のほうが恐かったらしい。
 その後、コウコ学がどうなったといえば、韓国産のキムチが幅を利かせるという結果となり、 国内の業界に大打撃を与えたのだった。"神"は禁じ手なのである。

(以上、2003・5・28までの執筆)


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