似非エッセイ 2003年1月下旬号
「牛でも、午でも"ご"」
前回「かえる その1」で、わが名「健午」を「牛(ウシ)」
にまちがえられた話を書いたところ、さっそく友人から、
「師走は忠臣蔵の映画やドラマをだいぶ見ました。
大石らが署名血判した用紙は熊野牛王宝印(くまのごおうほういん)というように、
「牛」を「ご」とも読みますので、「健牛」と誤植があっても「けんご」で許してあげて下さい」と、
親切メールをもらいました。そこで思い出したのが、野菜のゴボウ、これは「牛蒡」と書くのでしたね。
友人の言うように、「健牛」も正しい?!
ところで、私の筆名「本橋 游」の「游」は、釣りの道具"浮き"を指し、
意味は"一か所に定まらない"。わが人生、当たっていますねえ!
正月に顔を出した親戚の新社会人の名は「遊」。中学生のころは、
"遊び人"などとからかわれ、いやな名前と思っていたが、いまでは直ぐに覚えてもらえ、
いい名前をつけてくれた親に感謝しているという。
それを聞いていたわが息子の名は「望」。未だに、うれしくないという、親としては困ったものだ。
仕方なく、長女が生まれるとき、男なら「遊午」にするはずだったと告白すると、
「それがいい」というが、時すでに遅し。
「午」と、フランスの文豪V・ユーゴーにあやかったものだが、女の子でよかった!?
「訴状を見て…」
よく、告発された企業等の談話として新聞に載るのは、
決まって「まだ訴状を見ておりませんので、コメントできません」とか「ノーコメント」である。
事実にはちがいないだろうが、そのまま載せる新聞も芸がない。
これでは"報道"とはいえない。つまり、訴状を読んでからの、談話がないからである。
読者は、どのような弁明をするかを知りたいのである。
新聞が「知る権利」を尊重してなどと、行き過ぎた報道の批判に対して弁明するのは、
「国民は理解していると思う」などと身勝手にいう政治家や役人並みでしかない。
察するに、自分たちもミスや失態を犯した場合に、弁明に苦慮するからか、
追及を避けたい"心理"が働くからか。
14日付産経によると、100%子会社の内装工事会社が水増しの粉飾決算をしたとして、
特別背任罪で訴えた親会社、日経新聞社社長室のコメントは
「捜査にかかわる事柄についてはお答えできない」だそうである。
せめて"捜査にかかわらない"部分でも、聞き出せばよいのでは…。
そういえば、『週刊新潮』を作ったのは、先に"口撃"するためだったと聞いたことがある。
「なぜ? 改憲なのか」
右利きばかりでなくても、数年前から、(1947年公布の)日本国憲法はアメリカに押し付けられたものだから、
見直すべきだという改憲論が流行っている。
第9条問題を中心に、日本も"軍隊"を持つべきだという議論は、2年前の"9・11テロ"を追い風に、
"軍備なき平和は絵空事"という論理を基調としている。
ついでにいえば、教育基本法の改正論議も軌を一にしており、
これからの少年たちは旧道徳を強制され、軍隊にとられるぞ("素直"だから、従うものが多いか!?)。
「自分の国は、自分で守る」という論理に異論はないが、
"軍隊"だけ持てば解決するものかどうか、よく考えるべきであろう。
でも、"友好国"アメリカ、"軍事大国"アメリカの傘の下で、ぬくぬくとしながら、
どうして今ごろになって、"押し付け憲法だから"というのだろうか。
もし、そうであれば、もっと早くから言うべきことではなかったか。
さらに、国民の安全と平和を守るというならば、国内のさまざまな問題の解消が先決であろう。
未だに解せないのは、鬼畜米英を唱えていた日本が、敗戦一夜にして、
アメリカ一辺倒になったのは、なぜかということである。
ともあれ、この国は独立国であるが、"アメリカの51番目の州"と考えたほうが現実的と思うのだが、
どうだろうか。
「なぜ 成人式?」
今年の成人式について、新聞やテレビは、騒ぎが少なかったなど"様変わり"ぶりを報じていた。
"祝日法"を改正して、この日を1月の第2月曜にもってきたのは、
国民に迎合する政府与党の自信"策"だったが、高知県のように前日(日曜日)にやるところもあり、
早くも形骸化している。
本来、大人になる自覚を持たすのが目的ならば、式は厳格にやるべきであろう。
以前のように、"元服"の現代版として「15日」を動かすべきではなかったし、
診療を受ける病人や、学校の授業やお稽古ごとで休みが多くなるなど、
月曜の祝日が増えて困る人は大勢いるはずである。
さて、ノーベル賞授賞者の小柴さんを招いた杉並区は同氏が区民だからだが、
コンドームを配った新宿区の発想の貧困なこと。彼らの現実を知っているのだろうか。
また、ディズニーランド、としまえん、悪夢を吹き飛ばしたいのかUFJなど、
ふだんと変わらぬレジャー施設へ集めるなんて、役人はホントに税金のムダ遣いがすきなようだ。
もっと考えるべきことは、先に、選挙権を18歳からと提案したのと同じく、
「成人は18歳」からとすれば、もう少しマシな日本人が多くなるはずである。
若者には"ヒマが大敵"なのである。
「芥川賞候補作家の前宣伝」
高校生が授賞すれば、史上最年少となるという少女の話題作りとして、
委員であるかつての受賞者の石原都知事の談話を乗せるなど、
お先棒を担いだ? 新聞もあったが、彼女は落選した。
かつて、直木賞では、某社が一億円を使って事前運動をし、めでたく?
自社から出版した新人(といっても他の分野で活躍していた人)の作品を授賞させたという話がある。
そのような"不正"がまかり通るのは許せないとして、長年審査委員だった、
ある大家は委員を降りてしまった。
どの社も"文学賞"を設けるのは、新人の発掘であり、また商売として掲載誌だけでなく、
単行本にしても売れるからである。
一方、自費出版を願う素人をうまく利用し、出版費用を本人に負担させるなどしてリスクを回避し、
大々的な商売を営む"出版社"もあり、既存の出版社に見られない発想力に、人々がなびくのも、
むべなるかなである。
あまたの新人は、どのような手段でも、"発掘"されれば万々歳であろうからだ。
(2003・1・20までの執筆)
kenha@wj8.so-net.ne.jp