からむコラム目次

からむコラム 2002年6月上旬号

5月号     6月下旬号


「安易に身内を犠牲にするな!」
 ある犬の美容院(トリマー)で、アルバイトを募集したところ、二十歳すぎの女性がやってきた。 大小さまざまな犬を相手に、ブラッシングしたり、シャワーのあとシャンプーをしたり、爪を切ったりと、 人間様より面倒な仕事である。
 その彼女、馴れぬ手つきで2日ばかり働くと、突然「お母さんが重傷を負ったので辞めます」と電話をかけてきた。 女性経営者は、それは大変と同情する一方で、こんなときは「2、3日休ませてください」というのが普通だろうと思ったが、 辞めるというのを無理には止めなかった。
 慌てて次のアルバイトの手配をしたあと、経営者は「お母さん」のことが気になって、 先の彼女に電話を入れてみると、"重傷"の母親が元気な声で出てきたという。 「身内を"犠牲"にするなんて!」と経営者は、あ然としたというが、こういう例もある。
 50過ぎから始めたゴルフに病みつきとなった男は、親兄弟・親戚が多いというのも自慢だった。 平日にもゴルフをやりたいため、あちこちのオジさんを殺したり、急病にさせたり、 田舎で法事があるとか、その休む口実は多彩だった。
 次は誰が犠牲になるのかと、回りの人にすっかりばれているのに、 その深刻そうな表情は見ものだったという。
 ウソも方便というが、後味の悪い話であり、身内から"犠牲者"にさせられた人は浮かばれない。 いや、知らぬが仏か。

「世界に冠たるKOBAN(交番)の現実」
 近ごろ、それまであまり縁の無かった交番や警察と接触があり、さまざまな体験をした。
 4月中旬、まだ夕刻にはまだ早い時間、雑踏を抜けたところで、背広の内ポケットに入れた財布を盗られたことに気付き、 新宿のある交番に駆け込み、内側から鋭利な刃物で切られた状況を見せた。 しかし、綻びていたのではないか、酒を飲んでいたのではなどと警官は疑うばかりで、取り合おうとしない。 要するに、受け付けたくないのだと悟り、もう結構ですと引き下がった。
 現金はあきらめたものの、カード会社に連絡したところ、警察に届けて受理番号の連絡がないと再発行しないという。
 やむなく、居住地の警察署に届けると、親切な警察官が応対してくれ、盗られた物やそのときの状況など、 詳しく聞いて盗難届を作成し(なんと盗られた場所も"確定"してくれた)、それらを私に確認させ、 切られた部分の証拠写真を撮ったあと、「2日後に新宿警察に受理番号を聞くように」と、その電話番号まで教えてくれた。
 交番勤務と本署勤めでは、どこがどう違うのか分からないが、5月はじめ今度は財布の入ったポシェットを見つけ、 交番に届けたことがあった。目の前で財布をひっくり返し、病院の診察券(2枚)、スーパーのポイントカードなどを分け、 おかげで持ち主の氏名・年齢・住所まですぐ分かったが、とにかく現金は1円単位まで金種を記録して、 正確を期すのは大変なことだと思う一方、私自身が丸裸にされるようで、いやな気分になったのも事実である。

「防衛庁だけではない、調査は日常茶飯事!?」
 小泉首相が「備えあれば憂いなし」と、大衆を煙に巻きながら成立を急ぐ有事法案は、 ありもしない"仮想敵国"から、わが国を守るためという名分から、軍備拡張や核をもつことを容認する流れとなり、 一方で防衛庁は情報開示を求めた人の身元調査を組織ぐるみでやっていたことが表沙汰となった。 すべて"仮想敵国のスパイ"と見なしているというから、コッケイではないか。
 私の似たような経験は、相手が警察官僚(OB)である。 数年前だが、青少年問題に関する取材で、元全国防犯協会の専務理事であったそのOBに人を介して面会を申しこんだところ、 皇居と富士山が一望できるビルの最上階にある霞倶楽部という彼らのクラブで会うことになった(権力は何でも手にいれることができるのだ!)。
 あまり明るくない広間であいさつすると、いきなり彼は言った。 「あなたのことを調べましたよ」。何を調べるというのか、思想傾向か前科か? 私はいささかムッとした。 彼は期待したモノが何も出てこなかったから取材に応じたのかもしれない。 他に適任者がいないので、私は聞きたいことだけ聞いたが、ヒマだったらしい彼はその後軍隊の話ばかりするのだった。
 ところで、盗難届を出す時など印鑑を忘れると、署名だけでなく押捺をさせられる。 それは拇印(親指)ではなく、左手の人指し指に限られる。しかも朱肉ではなく、墨で黒々と。 その痕を見れば、なんだか悪いことをしたのかと、暗澹たる気分になるという。 つまり、あらゆる機会に指紋をとられ、いつでも前科の有無を照合できるというわけである。 既に"個人情報"は国家機関に筒抜けなのである。

「日本だって"武装"警官だらけだ」
 5月初旬、在中国総領事館での北朝鮮からの亡命騒ぎは、日本の外交官の当事者能力のなさ、 外務省のノーテンキ振りを露呈しただけでなく、NPOが撮影したビデオ映像が世界中に流れ、 2歳の幼児を含む5人を何が何でも敷地内から引き出そうという現地の"武装警官"と、 おっとり刀で建物から出てきた日本の副領事が、警官の帽子を拾ってやっている姿などを如実に映し出した。
 その一部始終はNHKはじめ各局で連日連夜にわたり流され、視聴者をトラウマ状態にさせるのに貢献した。 アメリカが9・11世界貿易センタービル崩壊のシーンを何度も流すのは残酷だとして放映を中止したのと大違いである。
 外務省の内部問題や中国とのやりとりに、その映像を何度も流す必然性はないのに、 見せ物にした人権感覚は、同じ日本人として恥ずかしい限りである。 要するに、人の不幸に便乗する日本人(メディア)の浅ましさだが、もう一つ、 言葉づかいの無神経さを感じさせたのは、"武装警官"という表現である。
 映像を見る限り、"武装"しているようには見えなかった。 武装というからには、銃器を持っている警官を指すと思うのだが、制服の下にピストルでも持っていたのか。
 疑問に思っていた私は先日、たまたま通りかかった桜田門(警視庁)の前にいた交番の警官に質問したところ、 われわれも勤務中はピストルを持っている、つまり武装しているといい、あの表現はおかしいというではないか。
 つまり警官は非番でないかぎり、いつも"武装"しているのであって、それは世界共通のことであろうに、 在中国総領事館前の警官だけが"武装"していると言挙げる根底にある思想は何か。 単なる無神経か、それならば報道機関をやめたほうがいい。

「表現の自由は誰のためか」
 ちかごろ個人情報保護法案という、国民個人個人のプライバシーを守るのではなく、 "悪事を働かないと自負する"国会議員や役人をメディアから守るための法律をめぐり、 マスコミ関係者や作家、フリーライターなどの反対運動が盛んになっている。
 反対の理由は主として、これまで認められてきた取材や報道を制限されたり、 付きまとうと告発されたりすることで、表現の自由が奪われるというものである。
 マスコミ側に反省する機運もないではないが、修正案を出し、賛成側に回る読売新聞のように、 自分だけいい子になろうという独自性を出す会社もあり、予断を許さない。
 さて、私はアメリカという国を好きになれないが、一つだけ羨ましく思うことがある。 それは"表現の自由"に関して、きわめて柔軟な運用をしているからである(憲法修正第1条)。
 つまり、星条旗(国旗)を焼くことも、地下鉄内でモノ乞いをすることも、 インターネットで担任の悪口を言うことも、表現の自由として認められているのだ。
 ひるがえって日本では、作家や学者、報道機関(マスメディア)だけが、 "表現の自由"を享受しているかのような錯覚を、彼らやメディア自身はもちろん一般市民も持っているところが残念で、 いまだ成熟していない国家といえる。
 今度の法案は私見を述べれば、戦前の言論統制に逆戻りというだけでなく、 逆説的にいえば、"密告"の奨励ともなりかねない悪法である。 いま、議員や役人、大会社のトップは内部告発をいちばん恐れるからである。

(以上、2002・6・1までの執筆)


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