からむコラム目次

からむコラム 2002年2月号

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「車内での"口まわり"の変遷」
 若い女性が車内で化粧するのを初めて見たのは97年夏の昼ごろ、東京駅から千葉の田舎に取材に行く途中だった。 彼女は一心に手鏡と睨めっこ、まつげを整えたり、口紅を念入りに塗ったり、他の乗客などまるで眼中になかった。
 化粧は化けるための装い、その"過程"は他人に見せるものではないと思っていた私には、理解しがたい光景で、 それは、やはりそのころ車内でルーズソックスを履き替える、女子高生にも言えることだった。
 口まわりが忙しくなったのはケータイの普及で、これはどの線の電車でも同じだった。 街中でも同じで、くわえタバコにケータイで話しながら、交差点をわたる女性を見たのは、 京王プラザホテルの前だった。
 ペットボトルをラッパ飲みする若い男女が目につくようになったのは、翌年のJRや京王線である。 これは草原などで、若い女性が股を開いて飲むテレビコマーシャルの影響だと直ぐ合点がいった。
 男子学生が、小学生の遠足のように小箱からスナック菓子をつまんでいるのを見たのは99年の初夏、 都心を走る総武線のなかだった。
 口まわりはさらに進化する。昨年5月のことである。京王線のかなり混んでいる朝の通勤時間に、 吊り革にぶら下がって辺りを見回す若い女性の口が動いている。 堂々と大きなパンを袋から少しずつ出してかじっているところだった。 その話を友人にすると、「私は昨夜の遅い小田急線で、若い男が弁当を食べているのを見ましたよ」と答える(うーん、どの線の乗客も競っているなあ)。
 車内での若い女性の化粧は当たり前の光景となったが、スニーカー姿や、 決して若くない女性が同じように車内化粧をするのを京王線や南武線で見たのは、それから間もなくだった。
 いまや、車内でペットボトルをラッパ飲みするのはオジサン・オバサンにも及んでいる。 かくしてこの国の健常者だけは自分勝手にバリアフリー(=嗜みの欠如)を満喫しているというわけである。

「学校週五日制の目的は"ゆとり教育"ではなかった」
 この4月から公立の小中高校では、"ゆとり教育"と称して学校週五日制が採用される。子どもの学力が落ちるだの、 遊んでばかりで困る、塾通いが増えるなどと、"家にいたら邪魔"という本音を隠す保護者にはむしろ反対論が多いようだが、 この制度導入の経緯を知ると、ハラの立つ人も多いのではないか。
 子どもたちが翻弄されるのは、いまに始まったことではない。 戦後の学習指導要領の改訂による教育方針の変遷を見よう。 それぞれの重点項目(キャッチフレーズ)は、1947(昭和22)年「経験重視 自主性」、 58年「知識重視 管理強化」、63年「能力主義 エリート養成」、68年「理数教育の現代化」、 77年「ゆとりと充実」、87年「個性重視の原則」、89年「個性を生かす教育」、 98年「心の教育」・「総合的な学習の時間 3割削減 生きる力」、 2000年「個性を伸ばす教育 奉仕活動の義務化」と、行き当たりばったりなのである(『学校の役割は終ったか』NHK出版2001年)。 さあ、あなたはどの時代の方針の恩恵(あるいは、犠牲)を受けたのでしょうか。
 現行の隔週五日制は95年5月に実施されたが、その前92年9月から第2土曜休日制が導入されていた。 これらは「子どもたちにゆとりの時間を」ということで進められていたかに見えるが、実はそうではなかった。
 昭和50年代、文部省と日教組とでの議論は"先生の週休二日制"で、それがいつの間にか"学校五日制"ということになり、 最近では"子どもにゆとりを与えるための学校五日制"にすりかえられたというのである (東京新聞社説「墨塗りの思想、いまも」95年4月16日)。
 これまで東京都などでは一日研修や半日研修という制度があり、休館日に図書館で勉強していたとデタラメの申告する先生もいたぐらい、 現実は先生の平日休暇となっていた。
 それにつけても、上辺は反目のポーズをとりながら、子どもを"ダシ"に手を結んでいた文部省と日教組の、 なんとあざといことか。

「ノーベル賞作家を落胆させた、校長の"政治"的発想」
 新潟県三条市といえば、少女監禁事件の記憶も生々しいが、この秋、創立百周年を迎える三条高校では大江健三郎に記念講演を依頼し快諾を得ていた。 ところが大江から参考文献として提示された講演集を読んだ校長は、わざわざ手紙を出し、政治的な話はしないでほしいと言い、 ついでに、当日は日の丸掲揚・君が代斉唱を行うともつけ加えたという。
 「生徒がかわいそうだ」とか、「トラブルは避けたいという保身から出た行動で教育者として許し難い」と憤る同校職員もいるように、 生徒のことなど眼中にないのが"学校経営者"、どこにでもいるではないか。
 しかし、この校長は世界的にも著名な作家大江の日ごろの言動(思想・信条)を理解していなかったという点で、 この程度の知識・教養でも校長になれるという範を示し、あとに続く"校長予備軍"を勇気づけ、 また自らが全き政治的人間であることを端的に表したという点でも、正直者とほめたたえるべきではないか。

「産経の夕刊廃止コマーシャルで、新聞協会は大慌て?」
 「4月1日から/歴史をひらく 新朝刊/夕刊やめて、月2,950円/全国紙初 最初にやります。産経新聞/高品質・低価格の産経新聞にご期待ください。」と、 6ヶ月以上の購読申込み者に、そうめんやリンゴ、サングラスやバーベキューコンロなど10種類の中から希望の品をプレゼントするというチラシがわが家にも舞い込んでいる。
 夕刊を廃止するのは採算が合わないからだろうが、同社社長が1月末、新聞協会の副会長を辞任させられたのは、 放映していた夕刊廃止のテレビCMについて、同協会から「新聞自体の否定につながる」と指摘されたからだ。
 渡辺同協会会長は「夕刊否定論、ひいては新聞否定論につながるCMを中止したのは結構なことだと考える」とコメントしているが、 上記のように大々的なプレゼント攻勢も、どの新聞でもやっている商品を提供する紙上懸賞の企画(いわゆる、オマケで釣る商法)も、 それだけ新聞人に危機感がある証拠である。
 ちなみに、同協会上げて取り組んでいるNIE(「教育に新聞を」)運動で、全国の小中高校を選んで新聞を送りつけているのも、 "新聞離れ"の打開策の一つだが、これにも相当な費用がかかっているようである。

「巨泉はしょせん、昔の巨泉でしかない」
 テレビ時代の寵児として活躍したハッパフミフミ小父さんは、日本を離れていた(すでに、一丁上がりだった)のに、 わざわざ呼び戻した民主党の感覚も解せないが、タレントであれば誰でもいいと一票を投ずる選挙民にも困ったものだ。
 4億だか5億円と公開された資産が同期参院議員のトップと分かった時点で、(こんな"貧乏人たち"と一緒にやっていられるかと思ったかどうか)、 彼はもうヤル気が失せていたのではないか。
 辞める理由は何とでも言えるだろう。担がれた神輿に乗ってはみたが、思ったより座り心地がよくなかったというだけではないか。 すでに、次点のツルネン氏に話をつけていたというのも恩着せがましく、胡散臭い感じがする一方で、 6年間"先生"でいられることに執着する人の多い中、すっぱり辞めるところなど立派に見えるではないか。
 教訓:しっかりした政策を持つ人物ならともかく、ただの"金持ち"は担ぎ出すべきではない。

「2月11日は何の日だ?」
 2月11日、若い男女の会話。「今日は祭日だけど、何の日なんだ?」、「知らないわ、そんなこと」。
 いま建国記念日、むかし紀元節といっていた"国の始まりを祝う日"とでも言おうか。 新潮国語辞典によると「旧制の4大節の一。毎年この日宮中で儀式が行われ、国民は祝日として祝った。 神武天皇が大和の橿原宮で即位した日と伝えられる。/明治5年、神武天皇即位の年を元年として、 これを皇紀と呼んだ」とある(神武天皇は日本の第一代の天皇)。
 紀元節は昭和23年に廃止されたものの、26年3月、当時の吉田首相が 「(日本の)独立後は紀元節を復活したい」と発言したことから復活運動が表面化し、 紆余曲折を経て42年2月11日、初の建国記念の日となった。
 前年6月、国民の祝日法が改正公布され、敬老の日が9月15日、体育の日が10月10日、 そして建国記念の日は6ヵ月以内に政令で定めることとされ、"戦前の紀元節の復活"だなどとの反対論を押しのけて、 2月11日に拘ったのが政府自民党である。
 ちなみに、当時は5月3日(社会党案)、4月3日(聖徳太子17条憲法発布の日、民社党案)、 あるいは8月15日、立春、元旦などがあったという。
 自民党は「ハッピーマンデー」と称して、祝日を月曜に移動する"怪挙"を行った。 海の日は7月第3月曜、敬老の日も9月第3月曜、体育の日が10月第2月曜に、また成人の日は1月第2月曜にとである。 おかげで、月曜のお稽古事やパートがつぶれるアンハッピーな人もいる。
 しかし2月、バレンタインデーの人気に押されて知名度が低いのであれば、いっそ祝日のない6月あたりに持ってゆけば、 少しは歴史を知らない国民の関心も高くなるのではないか。

(以上、2002・2・19までの執筆)


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