飽きずにエッセイ2005年2月上旬号
「小学生の漢字力」
今ごろ、「農科」(←農家)とか、「犬」の点の"位置"が脇の下にあるなど誤記が多いと、
小学生の漢字力の低下を嘆いている文部科学省の役人はじめ、この国の責任ある立場の人たちの"ノー天気ぶり"には、
開いた口がふさがらない。
私など、およそ10年前、すでに小学生どころか二十歳前後あるいはそれ以上の若者が、「根情は負けない」
「恨性で頑張る」(←根性)、「公園に隣設するビル」(←隣接)、「青森と同じ偉度」(←緯度)、
「ハーレムには国人が多い」(←黒人)、「それが異民の街だ」(←移民)、「プライバシー充視」(←重視)、
「期会があれば、もう一度」(←機会)、などと"兵器"(平気)で"欠く"(書く)のを知っている。
私の"コレクション"には、その後も「連絡」⇒「練絡」とか、「楽観的」⇒「楽観点」とするのや、
「曖昧」⇒「愛昧」なんてものもあるが、"愛昧"なんて、うまい!と思ってしまうぐらいだ。
彼らは、"音(オン)"さえ合っていれば、いいじゃんかと、「躊躇う」⇒「為らう」ことなどないのである。
話を小学生にもどせば、昭和25年、朝鮮戦争が勃発した年の日教組"教育白書"によると、二部授業、教員の質の低下、
社会環境の悪影響で、学生生徒の学力は低下し、とくに書き取りがひどく、小学生では「先生」を「王生」とか「生先」と書くものもいたという
(現実には、「センコー」が"主流"だったのではないかしらん!?)。
今回の調査責任者である教授(国語教育)は、「『意味が通じれば、少々の字形の違いはいい』と、
周囲の大人が甘くなっているのではないか」といっているそうだが、ここに見るように、
戦後"民主主義"による親代々の好ましくない"継承"のなせる業だったのである。
しかし、真相は、表意文字である漢字の特長を無視した、丸暗記という暴挙、すなわち受験のための勉強であって、
"学問"を放棄させた文部科学省(もと文部省)の罪は大きい。昔から"三流官庁"と揶揄されるゆえんである。
そこで、提案しよう。唯一の解決策は、小学生には、テレビ視聴の時間制限を徹底し、ケータイを与えず、
また学校以外ではパソコンに触らせず、ということを実行すべきである。
彼らを巻き込む援助交際や同級生への殺傷など、あまたの犯罪が減るだけでなく、賢くなるぞよ、今より何倍も!!
そのためには、まず親が模範を示すのはとうぜんであるが……。
「救急車に乗せられて」その1
先月末の週末、午前零時を回ったころ、トイレに起きた私は小用を足して、ホッとしたのか、
一瞬気を失ったらしく尻餅をついてしまった。すぐに家人が「どうしたの?」と駆けつけ、"救い出され"て、
寝室に戻るものの、今度は吐き気はなはだしく、夕食に食べたかつおのさしみなど、まだ消化しきれない状態で出てきた。
むかむかという感じは消えたが、口をゆすいでいると、家人はすでに救急車の手配をしていた。
大丈夫だといったものの、「倒れたんだから、頭を見てもらわなくちゃ」と娘はいい、ほどなく3人の救急隊員がやってきた。
"口頭尋問"には淀みなく答えたが、搬入先の病院の手配に手間取っている。近くのA大学病院もB総合病院も、
内科の患者は(今夜は満杯で)断られているといい、その名を聞いたこともないC病院に連れて行かれた。
同乗の家人も未知の病院で、見当がつないのか不安げな顔だった。
女医さんは、問診と触診で急性胃腸炎と診断したようだが、胸と腹部、そして頭のレントゲンをとるようにといい、
ストレッチャーで二つのレントゲン室を訪問させられた。その間、別の救急車が私と同年輩の女性を運びこんでいた。
地方から息子のところに来ていたようだが、胃が弱いらしく、「痛い、痛い」を繰り返し、幾たびかゲロもする……。
できあがって来たレントゲン写真を見て先生は、お腹は問題ないようだが、アタマは明日専門の先生に診てもらいましょうと、
入院させられることになった。ところが、部屋がないため(この時期、どの病院も繁盛しているとは救急隊員の話)、
ICU(集中治療室)送りだという。
受験生を抱えている時節柄、ICUと聞いて一瞬、国際基督教大学かと早合点しそうになったが、
ともかく"即入院"に驚いた私はまな板の鯉、いやベッド上の患者、再び暗い通路をあちこち引きずり回され、
終始天井を見ながら、エレベーターに乗せられ、A大学病院よりも大きいなと感心しながら、
ICUに入院(ちなみに、大学院に入ることも"入院"という)したのは、午前3時近かった。
「救急車に乗せられて」その2
賑やかな大部屋である。6床ほど並ぶベッドの、私は最後の客であったらしい。古いCMではないが「空いててよかった!?」。
部屋の広いスペースである中央部では数人の看護師(みな女性)が忙しく立ち働いている。
活気がある、と思ったのは、周りにいる先客、今夜入院したばかりの人たちが、セキをしたり、タンを吐いたり、
イビキをかいたりの"狂想曲"であったからだ。
いつの間にか寝たようだ。6時前、となりのベッドに検温だかの声がして、目が覚める。
私には簡単な検温・血圧測定のほかは、たまに「いかがですか、痛くないですか」と、ハラを探られる程度で、
周りの患者さんには見舞いが来り、身体を拭いてもらったり、大部屋に移るからと"出世"の情報が来りと忙しそうだが、
私ひとりだけ取り残されている。
この間、"絶食"を言い渡されている私は点滴の受け通し、仕方なく天敵とは何かとか、点滴岩をも穿つか、
などと愚にもつかないことを考えていると、右どなりの喜寿に近いオジイサンが、退屈したのか、さびしいのか、
ベッドのパイプ枠をたたき始め、「アイちゃーん、アイちゃーん」とか、「コウタロウ、コウタロウ」などと、
子供たちの名を呼び始める。看護師たちも時に相手をするが、老人一人に構っていられる時間帯ではない。
しまいに、かの老人の「もう知らないよ…」との、捨て台詞もむなしく、ひびく。
やがて、コウタロウらしき男性が神さんらしい女性と連れ立ってきたが、これがまた愛想のない対応だった。
「よくなるまで、ここにいるんだよ」とか「失敗したから、ここに来たんだよ」などといい、
あとでどこそこの親戚が来るからと、5分もしないうちに帰ってしまった。私は人ごとながら、同情しましたねえ。
さて、わが脳の写真判定は、男性医師が来て、問題ありませんといいつつ、診療報酬が必要なためであろう、
ライトで両目を照らしたり、両手の動きで異常がないかを見たり、両足の裏をくすぐってみたりなどと、
一通りの診察を終えると、「間もなく退院できます」と帰ってしまってからが、長かった。
カミさんは言われたとおり、11時に迎えに来ると思いきや、一向に姿を現わさない。一方、病院側は、
昼食が出ますからお待ちくださいという。早く帰りたいのだが、所持金はなく、私は未だにその病院がどこにあるのかも分からない始末。
あいかわらず、ヒマである。時間の経つのも心なしか遅い。仕方なく、「アイちゃーん、コウタロウ、もう知らないよ…」を聞きつつ、昼食を待つ。
これを食するのは、私だけ! だった。焼き魚に、白菜の煮付け、お粥には「潰よう食 5分」と書いてあるため、
てっきり"5分"ぐらいかけて食べるのかと思ったが、お粥の柔らかさだったことが、あとで分かった(素人病人ですねえ)。
久しぶりに食物を口に入れた? せいか美味しかったが、"5分"もかけて食べるのに苦労した。
一時は最悪のことも考えたりしたが、ほとんど問題はなかった"入院"騒ぎであった。
もっとも、去年暮からの疲れがピークに達していたことは否めず、「休め、という天の配剤」と感謝した次第。
でも、「アイちゃーん」たちは、来てくれたかなあ?! と余計な心配を抱え込んでしまった(これを"院内感染"という)。
(以上、2005年2月2日までの執筆)
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