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飽きずにエッセイ2005年7月上旬号

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「売れっ子、に責任はないのか」
 ドキュメンタリー作家と称する森達也は、かなり売れっ子だそうである。彼の公式サイトやらに掲げられていた、 直近のスケジュールの"殺人的"なこと、以下の如し。
 「イベント・上映会」として、6月16日(木)映画「Little Birds〜イラク戦火の家族たち」トークショー(東京) /6月17日(金)第32回出版研究集会 記念講演「憲法とジャーナリズム」(東京)/6月18日(土)憲法論議『人権への果てしない問いかけ』(東京) /6月25日(土)BOX東中野レトロスペクティブ1994〜2003(東京)
 ついで、「放送禁止歌」上映+トークショーとして、6月25日(土)河合塾北九州校第2回文化講演会(北九州) /6月26日(日)河合塾福岡校第2回文化講演会(福岡)/7月2日(土)立教映画人特別上映会シリーズ8 森達也監督上映会(東京)
 そして、「放送禁止歌」「A2」上映+トークショーとして、7月2日(土)テレビ作品日替わり限定レイトショー(東京) (以上、「2005.6.24」付、本人の署名のあるものより。これ以外に雑誌の連載等も数本掲げられている)
 私は数年前、『放送禁止歌』という彼の著作を読んで、若いが、元気で骨のある人物だと密かに評価していたのだが、 今回ばかりはいただけませんな。いや、「講演」を「イベント・上映会」に含めるのは、少し乱暴ではと思う程度ですが。
 気になるのは、彼の講演(上記6月17日記念講演「憲法とジャーナリズム」〈東京〉)での"発言"(歴史認識)である。 講演の模様を報じた新聞によるのだが、一つは「今上天皇」(いまの天皇のこと)という表現。死語ではないだろうが、 現代ではほとんど使用されておらず、年配の私はとっさに「昭和天皇」を思い浮かべてしまった。直に聞いたわけではないので、 「昭和天皇」を指すのか、現在の天皇を意味するのか、いま主催者に問い合わせ中である。
 ちなみに、亡くなられた場合に「大正天皇」とか「昭和天皇」という慣わしのようで、"いまの天皇"ならば、いまは「天皇」「天皇陛下」あるいは「現天皇」でよいのではないか。
 次に、先の新聞によると、こういうクダリがある。「戦前、各全国紙が次第に翼賛報道へと転んだのは、その方が売れるからだったそうだ。気をつけたほうがいい」。
 私の認識では、まず「各全国紙」というのは現代でも数紙しかないこと。他はブロック紙、県紙などといわれるものである。 つづいて、「翼賛報道へと転んだのは、その方が売れるからだったそうだ」との発言は、なにを根拠に「売れる」のか不明なばかりか、 「翼賛報道へと転んだ」というのも乱暴な表現で、当時の統制社会、用紙不足による1県1紙制(1942・7・24情報局)という統廃合が行われたという現実(歴史認識)が欠落しており、 "大本営発表"以外の報道は不可能だった状況下、今日的な観点からの「売れる」状況などなかったはずである《ちなみに、45・5・28には東京の5大新聞、「共同新聞」に》。
 要するに、どこかの国の首相や都知事のように、彼は歯切れのいい言葉で聴衆を魅了(あるいは幻惑)する話法に陥っている危険なオピニオンリーダーではないのか。
 だとすれば、あまり歴史(日本現代史)を学んでいない若い予備校生(6・25,26九州の河合塾)たちに、こんな乱暴な歴史認識を持たせては、 彼の日本(あるいは言論の自由)を憂える危機意識よりも、かえって実害が大きいのではないかしらん。
 したがって私は、「当日、76名の聴衆がいたそうですが、質問なり疑問はなかったのでしょうか」と主催者側にお聞きしている次第である。 さらに加えて、ひょっとしたら「このような"歴史認識"を持つ方を講師に迎えたとすれば、それこそ『気をつけたほうがいい』ということになりますね」と。

「俺より頭が悪い、で殺される理由」
 ある社員寮の40代半ばの管理人夫婦が、15歳の長男に殺された事件では、加害者の長男こそ真の被害者であろう。
 いま小中学生のあいだで、ちょっとしてきっかけで相手を殺傷するという事件が多いのは、年齢相応のコミュニケーション力の不足とオン・オフ的な反応しかできない短絡思考によるからだろうが、 それは親の責任、しつけ方の問題で、たとえ自分の子でも(夫婦でも)、言ってよいことと悪いことがあるはずだ。
 報道によると、この3人家族は管理人としての仕事を、いま流行りのワークシェアリングし、長男にも分け前を与えていたそうだが、 なぜ殺されなければならなかったのか。長男にすれば、仕事量に対しその分配が不公平だっただけでなく、「俺より頭が悪い」といわれたんじゃ、 立つ瀬がないはず。以前から自分に対する親の対応(=愛情)に、満たされないものがあっただけでなく、 一個の人格ある人間として遇されていないという気持ちが、その一言で爆発したのではないか。
 誤解を恐れずに言えば、爆発物を作るぐらいだから、長男は決して頭が悪いとはいえないのではないか。 凶行に及んだ根底には、働くものは食うべからず式の"共産主義"と、有無を言わせぬ"奴隷制度"の矛盾に、 "世界史なんか習わなければよかった"とホゾを噛み、いたたまれなくなったのであろう。
 27,8年前に出た本に「親をみりゃ 子のオレの将来 知れたもの」という一句があった。本のタイトルにもなった、 中学3年生男児の"傑作"である。
 矢野壽男という中学の先生(1925年生まれ)が24年間、数多くの教え子に「訴え川柳・悩み狂歌」を作らせたのは、 「山のことは山にきけ。海のことは、海にきけ」という日本人の古くからの知恵にならって、 「子どものことは、子どもにきけ」を強調したかったからだという(『親を見りゃ ボクの将来 知れたもの』三笠書房1972・06、「まえがき」より)。
 同じ中学生でも、これぐらい冷めておれば、あるいは両親が心に余裕のある生活を送っていれば、 先の「俺より…」といセリフは出てこなかったはずだ。
 ともあれ、寅さんじゃないが、「それを言っちゃあ、お終めいよ」ということを弁えているかどうかが、 大人としての最低のマナーではないかしらん。《教訓:まず自己管理を徹底せよ!?》

「天覧試合、にするのは国民のせい?!」
 その昔、昭和天皇がプロ野球「ナイターを見たい」と希望して観戦した巨人−阪神戦は、史上初の天覧試合といわれた(1959・6・25、前の後楽園球場)。
 伝統の一戦であり、期待にたがわぬシーソーゲームとなったが、4−4のまま延長戦に入る寸前、阪神のルーキー村山実から、 この日2本目となる13号ホームランを打って決着をつけた入団2年目の長嶋茂雄は、翌日の新聞を大いににぎわせ、 国民的英雄? になった。ちなみに、ルーキー王貞治もこの試合でホームランを打っている。
 時は流れて46年目の05年7月3日、右手マヒの、いま巨人軍終身大統領ならぬ終身監督長嶋茂雄は息子らを引き連れ、 東京ドームの貴賓席に納まり、いまだ伝統とはならぬ、いやひところ最下位争いをしていた対広島戦の大勝利に酔うはずだった。
 いつもながらスタンドを埋めつくした多くの巨人ファンは、「お帰りなさい長嶋さん」などのプラカードを掲げて、 まるで天皇か大統領を迎えるかのような陶酔感に浸っていた。
 そして、1回表、守備に散る巨人ナインは一人ひとり帽子を取り、遠く貴賓席に納まる終身大統領ならぬ終身監督に一礼してという"演出"にまた拍手は鳴り止まなかった。
 巨人選手の、ファールフライや、さして難しくない飛球を転びながら捕るなどのパフォーマンスに、 ファン以上に喜ぶ長嶋はどんなに感慨にふけっていたか定ではないが、試合開始時間を繰上げまでして必勝を期した、 テレビ局や親会社の思惑は見事に外れ、平均年齢32.10歳(推定)のロートル球団は1対4と完敗した。
 いや、これは単なる"大本営発表"であって、巨人軍の不滅を信じ、終身大統領の不老不死を願う国民には、 現実はもっと素晴らしかったにちがいない。《そう、同時に行われていた都議選で、前回より当選者を減らした自民党が、 大幅増の民主党には勝ったと言うようなものだろう》
 それを煽ったのはだれなのか。新聞のテレビ欄をみると、この企画を練ったらしい日本テレビでは「朝8:00ザ・サンデー 復活・今日ミスターが帰って来る…秘蔵映像」、 「夕方5:30バンキシャ&ナイター 長島さん復帰その瞬間完全生中継」、つづく「6:30プロ野球 巨人×広島 長嶋茂雄さん今夜観戦488日ぶり姿にG燃ゆ」なんて大はしゃぎ。 なおかつ「夜10:30うるぐす ドーム復帰 長嶋茂雄が巨人戦観戦 選手反応…488日ぶり メッセージ」と、 しまいには"長嶋茂雄"と呼び捨ての、何だか訳のわからない編成ぶりだ。一方、納骨式での若貴対決を期待する他局(フジ、テレ朝)も不安なのか、 深夜には「長嶋頼み」に余念がなかった。
 そして、翌日の新聞には"御前試合"という表現もあり、いまや大統領ならぬ"天皇"になってしまった、 なんて嘆いてみた私だが、そのうち「国民が長嶋を待望した」と、またぞろ監督復帰というシナリオが目に浮かぶ。 いや、これはたとえで、戦後60年を迎えたいま、この国には戦争を期待するムードが高まりつつある、 ということが言いたかっただけなのだが。

(以上、2005年7月6日までの執筆)


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