”書くこと”−『罪と罰』―福田恆存演出による―
1965.11.4
劇団「雲」の『罪と罰』を観る。延々5時間近くもかヽる四幕物で、この小説を読む時と同様に、 かなりの肉体的健康性を必要とした。しかし、面白かった。 こういう演劇を観て、面白いと云うのは語弊があるが、ドストエフスキーを研究する私にとって、 また福田恆存に興味を抱いている私にとって、絶好の機会だったのだ。
映画にしろ、演劇にしろ、脚色されるということは、原作を離れて、別個の作品が生まれるということで、 そこには、もはや原作に忠実だとかそうではないとか云う問題は存在せず、新たな作品として善し悪しを考慮するしかない。
さて、福田の脚本を読んでいない私は、観た劇の印象からしか判断できないが、彼はまず、この小説を通俗小説とみなしている。 そして、脚色もその考えのもとになされており、また舞台上の色々な制約から、小説とは別の解釈を何か所か施している。
最も印象的だったのは、幕開きごとに、あの古びた、もう田舎の家でも珍しい柱時計が重々しく、 ボーンボーンと時を告げるその音で、これは実に効果的であった。 何故なら、四日間の物語を、一日一幕にまとめてあるので、時間の観念は特に必要なわけである。 小説でもあれだけ内容の充実した、青年の思想、苦悩、行為を盛っている次第で、青年にとっては、一日が無限に、 一時間が何日分にも相当していたことだろう。
ラスコーリニコフは熱演、好演であった。小説を読んでおれば、ある程度理解できるとは云うものヽ、 複雑で豊富で、一口では云い表せない青年を演ずるのは、いさヽか無理だと感じたが、一生懸命なのが、よく判って好感が持てた。
しかし、福田が科白に持たせた意味を充分体現しているかどうかは怪しい。 何しろ、福田その人の人格からして単純ではなく、いつも本心から喋っているかどうかも判然としない人の、 含ませた意味を俄かに理解することはできない。そうなると、演技の問題ではなくなるのだが、例えば、小説にはなくても、 ドストエフスキーの思想を盛り込んだという作者の言葉がある。 作者のドストエフスキー観に関わるが、それも中々判断し悪いものである。
舞台の簡素化―福田は、役者以外の装置や衣装を最小限度にとヾめて、すべて演技力によって、 劇というものを作りたいと述べている。 遠藤周作は想像力によって観るのが好ましいと、福田らとの座談会で云っている。 特にこの劇の場合、もともと変化が主要なものではなく、人間の心理的な面を深く追求する物語であるから、 舞台の飾りが多いと、作者の意図が充分に伝わらなくなる恐れがある。
作者の女性観かもしれないが、ソーニャの扱いがどうも軽いように思われる。あれでは心がない。つまり悩みがない。 もともとそういう女性かもしれないが、ラスコーリニコフとの対話が、先を急ぐというか、 不自然に思われる(作劇上難しいとは思うが…)。
また、ラスコーリニコフの苦悩が、こちらに伝わってこないのはどういうわけか。 余りにも現実とかけ離れていて極端すぎるからか。殺人を犯してポルフィーリィやソーニャに会っても居丈高なのが、 急に弱気になるのは、小説を読んでいないと、福田の解決法がメロドラマそのものになってしまう。
尤も、小説からして、ラスコーリニコフが、"ラザロの復活"さえも、考慮に入れていないというのはおかしい。 何故なら、彼はそれ程単純な青年ではなく、むしろ考えに考え抜いた末の凶行で、 それがたまたま老婆の妹のリザベータを巻き添えにしたからといって、殺人を正当化できないばかりか、 失敗と認めざるを得なくなるというのでは。
武田泰淳は、今度誰かヾ『罪と罰』を書くとしたら、ソーニャによる解決などという単純な物語は願い下げにしようと云っているが、 同感である。時代や宗教や国民感情から、あのような形になったのであろうが、現代ではもう通用しないであろう。 小説を始め、芸術は大向こうをうならせて、人々に迎合することではないのだから。
主人公は勿論大切だが、その存在が引き立つのは、多数の脇役がいるからで、私はそういう脇役に、より共感を寄せる。 例えば、ポルフィーリィなど、役者の巧さもさることながら、作者福田の得意そうな顔がちらちらするのが感じられ、 舞台の緊張感をいくらかやわらげる効果がって成功であった。
ソーニャ―犠牲を犠牲とも思わず、何事にも挫けず、明るく強く生きていく女性は、実際に存在するだろうが、 ラスコーリニコフが彼女と対話することによって、どうしてそんなにもた易く、改心したのか。 自分がナポレオンになれなかったことを悟ってか、酔漢や貧困や病気や白痴などに対する憐憫の情が蘇ったからか……。 世のため、人々のために、自分が非凡人たらざるを得ないと認識しながら、かつ人を殺すのは如何にも矛盾した考えである。
最後に、福田がこの小説を通俗的と云った意味は、彼一流の皮肉で、それをそのまヽ信じてはいけない。 真理は、語られなかった中にも在るということを忘れてはならない。
〔雲−8 罪と罰特集号参照〕
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